河野富広:ウィッグが誘うペルソナの新境地、新しいインタラクション

 

Interview by Ayae Takise
All image courtesy of the artist


ウィッグがウィッグ以上の意味を持つ時、それは私たちの身体と心のあり方にどう影響するだろうか?その答えを求めるなら、後にも先にもウィッグアーティスト、河野富広の右に出る者はいないだろう。2020年に出版した2つの作品集「PERSONAS 111」「LAYERED PERSONAS」は、ウィッグ/ヘア表現を人間の外側はもちろん内側までも変身させるツールとして紹介し、アイデンテティのあり方を問いながらリアリティとファンタジーの狭間へ誘う。

ここでは河野氏のこれまでのキャリアを振り返りつつ、この2つの作品集にフォーカスし、一見アバンギャルドでありながら強い普遍性を持つ作品群を紹介していく。また、2作から派生して作られたARフィルターウィッグ、パンデミック下の展示など、ウィッグの周縁に生まれた新しいインタラクションの形についても考察していく。

「ヘア」を中心に変化しつづける表現

「PERSONAS 111」の視点やアウトプットの時代性から、まるで新人アーティストが現れたと捉える反響も多いそうだが、実際の河野氏はヘア一筋に20年以上のキャリアと卓越した技術を誇る熟練の職人である。

キャリア初期の2000年代前半は原宿で美容師として働く傍ら、フォトグラファーアシスタントとしても従事しサロンワーク以外の表現を模索。伝統的な日本髪(結髪)を学ぶなど貪欲に研鑽を積んだ。現在もクリエイティブパートナーであるビジュアルアーティストの丸山サヤカ氏とタッグを組み始めたのもこの頃である。
2007年渡英後はセッションスタイリストとして活動開始。自己表現を追求する過程でヘッドプロップやウィッグ制作も独学で探求し、やがて無二の肩書き「ヘッドプロップアーティスト」を確立するようになる。 

From editorial “Déjà vu”

2008-2012 HEAD PROP / Chandelier

2008-2012 HEAD PROP / Spider Fancy Bonnet

独学の賜物であるオリジナリティに富んだウィッグやヘッドピースの背景にあるのは、莫大なトライアンドエラーの数々。2014年から計9シーズン関わったジュンヤワタナベコムデギャルソンのランウェイで発表したヘッドピースも例外ではない。同ブランドのためのヘッドピースを中心に制作過程をまとめたのが、自身のクリエイティブプラットフォームkonomad(コノマド)から2017年に出版された最初の作品集「HEAD PROP – Studies 2013-2016」だ。最終形態に向かうまで生まれたドローイングや大小プロトタイプを余すことなく披露した200ページ超からは、おびただしい奮闘の軌跡が伝ってくる。

「‘HEAD PROP’ Studies 2013-2016」より

当時はプロダクトとしての造形的完成度を追求した時期だったため、20世紀の各種デザイン運動やインダストリアルデザインに影響を受けた作品が多い。ビニールやポリウレタン等、毛髪以外の素材も多用している。しかし「HEAD PROP」出版を節目に、河野氏は再び毛髪を用いたウィッグメイキングに集中して取り組むようになる。
そのプレゼンテーションとして2018年から2019年にかけてパリ・東京・NYの大小様々な会場で、計5回にわたり開催した展示は、空間に宙吊りとなったウィッグに観賞者が触れるインタラクティブなパフォーマンス性を含む、前代未聞の光景を繰り広げた。

Interactive wig exhibition ‘PERSONAS’ (PLACE by method / Tokyo / 2019.4)

Interactive wig exhibition ‘PERSONAS’ (PLACE by method / Tokyo / 2019.4)

Wig X Japanese Antiques Tomihiro Kono x tatami antiques (Tokyo / 2019.4)

これらのウィッグからさらに、日常的に髪型のエッセンスを取り入れる提案として2019年に発表されたのが「Tomi Kono Fancy Wig」シリーズだ。エクステンションにヘアゴムやピンが付属している形状、ヘッドバンド形式など、着用者自身のアイデンテティを残しながらカジュアルにウィッグを身につけることができる。

Multi-color Fancy Wave [Clip On]

Fancy Leather Charm [Leather straps]

Fancy Chelsea [elastic]

Fancy Worm [elastic]

常にウィッグ制作のスキルを疑い、学び続けた結果生まれた揺るぎないオリジナリティ。しかしこれらはファンデーションの縫製から髪の縫い込み、カット、カラー、パーマネントといった技術的な側面のことだけを指すのではない。konomad共同代表を務める丸山氏とともに探るビジュアルプレゼンテーションの方向性、具現化のプロセスもあって初めて、河野氏の作品性は成立する。丸山氏自身の作品にも河野氏のウィッグは度々登場するが、それぞれの世界観が互いの輪郭を作りあっていると言っても過言でない。

Japan Avant Garde (2007)

Sakura for EYEMAZING magazine (2012)

Floral Beings (2019)

Floral Beings (2019) All images in this section photographed by Sayaka Maruyama, Hair/Head Prop by Tomihiro Kono

[私]の可能性を浮かび上がらせるファンタジー

河野氏が作るウィッグは、基本的に着用者のペルソナが決まっていない。年齢、国籍、性別、趣味嗜好が限定されていない「開かれた」ウィッグであり、誰しも自由に変身する機会を得られることを意味する。

「外見を変えることは自己反映、自己主張、自己防衛の行為だ。」(『PERSONAS 111』より)

身体の外側と内側の双方に影響する、トランスフォーメーションツールとしてのウィッグの可能性を、1人のモデル、1人の写真家、111体のウィッグによって表現した「PERSONAS 111」。前作「HEAD PROP」が「デザインのためのデザイン」とも捉えられる性質を持っていたのに対し、本シリーズはヒューマニティに訴えかける強いメッセージを持つ点だ。

「PERSONAS 111」表紙

「アートやデザインの文脈上で紹介された『HEAD PROP』に対して、『PERSONAS 111』は普遍的でタイムレスな、誰でも自分に置き換えて想像できるテーマを持っています。表紙が後ろ向きになっている匿名的な見せ方、様々な国のミックスであるアンドロジナスな風貌の写真家でありモデルのキャメロン・リーファンを起用したこともそのための演出の一例です。」

ファンデーションも見える形で撮影されたウィッグは、物体としての存在感が強調される。

本書は大きく二つの章に分かれて構成されている。ID用の記録写真のように前方を向いたキャメロンの111の写真を1ページ毎に配置。ポートレートのみでは全貌が把握しづらいウィッグは、写真下に補足的に他角度からウィッグのみの写真を掲載している。

前半が基本形インデックスだとすると、後半で「Gender-Blending Transformations 」と題し展開されるのはさらに縦横無尽なキャメロンの姿だ。カテゴライズが意味を成さない鮮やかな洪水の世界に飲まれたような紙面構成が美しい。

元の頭髪が見えるようずらして身につけるなど、ウィッグの意味すら打ち破るようなビジュアルも。

様々な人物に扮装しアイデンテティを問うアーティストは過去にもいたが、河野氏の場合はそれを衣装や化粧に頼らずストイックにウィッグのみで実現している点が特異であり、さらに「ペルソナ=社会的な仮面」を利用して新たなアイデンテティを獲得しながら、もとから備わる本質を引き出している。

「[私]ではない何者にでもなれる可能性」と同時に逆説的に浮かび上がる「確かな[私]」。ファンタジックなトランスフォーメーションの末にたどり着く、カテゴライゼーションを問い直す新時代を象徴するメッセージだ。


同時にいくつも存在する[私]

「PERSONAS 111」がアイデンテティの多様性の賛歌であるとすれば、7ヶ月後に発表された「LAYERED PERSONAS」は、より個人の断片的な解体と再構築にフォーカスした哲学性の高いシリーズとなっている。

「LAYERED PERSONAS」表紙

今秋、河野氏は「Maison Margiela(メゾン・マルジェラ)」2020-21秋冬アーティザナル・コレクションのテーマの一つ「GENDERLESS」を再解釈したウィッグシリーズ9点を発表した。このプロジェクトを発展させ制作された計43点のウィッグは、前シリーズに対しウィッグの色調をさらに限定し、レースの仮面やモデルの地毛のプラチナムブロンドも視覚言語の要素として捉え、数パターンのビジュアルに収めている。
 

「今、私たちはこれまで以上に多面性を受けいれはじめていると感じます。あらゆる個人は不確かな存在であり、常に変化し続けています。そのため、私たちが自分自身を表現するために選ぶ方法も、絶えず流動していくのです。」(「LAYERED PERSONAS」より)

“LAYERED PERSONAS” Personas 11

“LAYERED PERSONAS” Personas 36

もとある身体や地毛をあらわにするウィッグの着用方法は「PERSONAS 111」でも伏線のように提案されていた。しかし今回はより顕著に、地毛をあらわにせざるを得ない断片的なヘッドピースに近い作品が多くを占める。もはや「ウィッグ」の定義も曖昧になるような造形の数々。着用方法を編集的に展開する行為そのものが、個人=「私」という存在自体が、複雑で同時性をはらんだレイヤーの重なりであることを体現しているようだ。

“LAYERED PERSONAS” Personas 28

“LAYERED PERSONAS” Personas 40

多くの哲学者も考察してきた「私」と「他者」の問題にまつわる修辞的な含蓄とともに、明快な視覚言語として提示される河野氏のウィッグ。身につけた途端、そこにはジェンダー、時代、スタイルなど異なる端緒が共存するハイブリッドな景色が立ち上がる。目に見えない内側もまた、この景色の変化につられ自由な変身の可能性を持つ。

 

展示の自粛が契機となった

「PERSONAS 111」が発行されたのは2020年3月半ば。当時河野氏が拠点としていたニューヨークで、日本人美容師ホソノマサミが主宰するニュートラルジェンダーサロンVACANCY PROJECTと組んで刊行記念イベントを予定していた。しかしイベント初日のわずか数日前に突如北米に広がり始めたコロナパンデミック。社会的制限が実施される前の瀬戸際ではあったものの、痛恨の念に駆られながらもイベントの自主的な延期(のちに中止)を決定した。

次第に深刻になっていくNYのパンデミックと山積みとなった大量の本。一見絶望的とも言える状況は、当初の計画とは異なるかたちで111体のウィッグを紹介するチャンスにつながった。インスタグラムユーザーが誰でも画面上でウィッグを「試着」できるARフィルターシリーズも発表したのだ。

「PERSONAS 111」収録作品のARフィルターシリーズ

平面的でマンガのような表現の「ARウィッグ」はすでにいくつかあったそうだが、実物をゼロから作り、それに付随するビジュアルや書籍がある河野氏のフィルターシリーズには圧倒的な必然性がある。最初のARフィルターはリリース後わずか1週間で100万回体験され、大反響を得た。

「PERSONAS 111」収録作品以外のウィッグを用いたARフィルターシリーズも発表。「3D Head Props」はHelena Dongが3Dモデリングを手がけ、口を開けるとお菓子の「アポロ」が飛び出す可愛らしい演出も。

「世界中の人々がStay homeを強いられて、オンラインで洋服を買っても着ていく場所がない、髪の毛も切りに行けない。皆アイデンテティを表現する機会に飢えて、かつインスタグラムを眺める時間が増えた状況で、ARウィッグをかぶったストーリーや投稿に僕をタグ付けして、それを僕がリポストする。そのインタラクションを見てまた投稿してはタグする人がどんどん増えて…家の中で楽しめるツールを提供している確かな実感があり、フィルターを制作してよかったと感じました。」

 

「今の東京」ならではの作品との関係性

3月に「PERSONAS 111」イベント延期を決定した際、今後過去に行った展示のように人が容易に他人や物に接触できる、リアルな体験が要となる展示形態が「ファンタジーとなってしまう日が来る」と直感したと言う河野氏。12月に東京・渋谷の「PLACE by method」で開催された展示「Layered Personas」は、そんなアイロニーをにわかに示す内容となった。

「Layered Personas」展@PLACE by methodより

「前回展示した時から<インタラクティブ>の意味が全く変わってしまいました。もはや展示されたウィッグを来場者が被っていたほんの1年前がファンタジーなのか、(直接ウィッグを被ることが)できない今、ファンタジーに生きてるのか?パンデミックが日常の世界で、感染防止のために人との間に距離や保護膜がある状態が<普通>になってしまった今提示できる、新しい展示のかたち、デジタル上で完結しないインタラクティブな関係性を提示したいと思いました。」

ウィッグが宙に吊るされた光景は、2019年春に同スペースで開催された展示とさほど変わらない。決定的に違うのは、来場者とウィッグの間にビニール膜で空間が「レイヤード」されているため、被ることはおろか、近づいて触ることも不可能な点だ。唯一被ることができる大型ウィッグは、圧縮袋で保護されたように吊るされ、社会情勢をシニカルに体現しているように思える。
河野氏のこれまでの展示を体験している人なら一層、近づけないもどかしさに駆られたはずだが、遠目に見ても各作品の圧倒的な存在感は顕在だ。むしろ近づけないことで、作品がより崇高なオブジェとして感じられ、ウィッグとの新たな関係性を体感することになった。

会期中催されたコスチュームデザイナーTomo Koizumi(トモ コイズミ)との特別コラボレーション

会期中、ビニール膜には丸山サヤカのドローイングを基軸に、来場者が自由にドローイングに参加し、丸山氏と来場者間のインタラクションが視覚化される試みも行われた。ウィッグと来場者の間にどんどん「壁」が出来上がった先の光景を目撃するのは、会期後半に訪れた来場者の特権となった。

ちなみに今夏ニューヨークから日本へ拠点を移した河野氏にとって、帰国当初様々な場所で見かけたプラスチックの仕切り、その間で取られるコミュニケーションのあり方(感染防止を目的にしているにも関わらず、それがあることに安心し、かえって矛盾した行動をとってしまう人々の光景など)が新鮮に映ったと言う。過剰な自粛はせずとも各々の対策や工夫を重ね、日常を続けようと抗う現在の東京・日本の姿も展示から受けて取れた。

ウィッグを直に体験できた2019年までの展示形態と、デジタル上で試着できたARフィルター。この流れから一周まわり「アナログ版ARフィルター」という興味深い着地点として発表されているのがFun Fan(ファン・ファン)だ。新しいフェイスシールドとしてデザインされたプロダクトには、ウィッグの画像が団扇状のアクリル板に印刷され、二者間で遊べる仕様になっている。 

「相手と離れて、ファンを持った腕を伸ばしウィッグをかぶせるようにして遊ぶので、ソーシャルディスタンスを取らざるを得ない仕様になってます。お互いをプロテクトしながら楽しめるインタラクション。いくつか重ねてみたり、方向を変えてみてつけたり、アナログで物理的な楽しみ方ができます。」

courtesy of @tomikono_wig

顔の大半を覆った相手と距離をおいて接することが日常となった今、パブリックではマスクも皮膚の拡張と化したと言って過言でなく、個人のアイデンテティを認識する方法も変化している。

「顔ではないところでどうアイデンテティを見出すかが、より大きなテーマになってきたと感じています。だから髪型をいかに差別化して、オリジナリティを高められるかが大事。」

「アベノマスク」をアップサイクルして制作した「Abeno Up-cycle Fancy Mask」

外見の問題に限らず、2020年は様々な出来事を通して「個人であるとは何か」と言う問い、他者との新たなコミュニケーションに光が当たった。無論、個人<ペルソナ>は孤独に輪郭を成立しうるものでなく、他者との関係性<インタラクション>が不可欠であり、変化に対していっそう柔軟性を持つ姿勢が、新時代にふさわしい進化につながっていくだろう。河野氏がPERSONASシリーズを通して物理的・視覚的・概念的に提示するのはこういった想いであり、他者に提示する/自ずと認識する身体、その内側にある心の軽やかな自由を肯定している。

 
 

Tomihiro Kono 「Layered Personas」
会期/2020年12月4日(金)〜23日(水)
会場/(PLACE) by method
住所/東京都渋谷区東1-3-1 カミニート#14
開館時間/12:00〜19:00
休館日/日
URL/placebymethod.com

 

Tomihiro Kono / 河野富広

1980愛媛県出身。日本でのサロンワークで美容師として10年ほどキャリアを積む。十日会にて日本髪(結髪)の手ほどきを受けたのち、2007年に渡英し、セッションスタヘアスタイリストとして活動を始める。自己のスタイルを追求していくうちに、作品のコンセプトに基づいたウィッグやヘッドピースを制作し始め、ほどなく「ヘア・アンド・ヘッドプロップアーティスト」という独自の肩書を確立。ニューヨークに拠点を移した2013年よりJUNYA WATANABE コムデギャルソンのパリコレショーでヘア&ヘッドプロップディレクションを担当。2016年頃から現在は主にウィッグメイキングに集中的に取り組みながら、ヘアの表現の幅を広げている、頭のスペシャリスト。 また、数多くの国際的な雑誌、広告・キャンペーン等で活躍しつつ、konomadのディレクターとして展示、プロジェクト、ポップアップイベントの企画や総合クリエィティブ・ディレクションを手がけていく。 著書に「HEAD PROP」「PERSONAS 111」「LAYERED PERSONAS」。

Website: http://www.tomihirokono.com/
Instagram: @tomikono_wig
Artist books and products available for purchase at konomad inc website

 
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