Miracle Tree

 

Paintings by KIJIHA
Essay by Ayae Takise

2月21日火曜日、

津に到着した昼過ぎは太陽があたたかくて、空気がなんでも通してしまうほど澄みきっていた。雪とも霰(あられ)とも見当のつかない、冷たく小さいものが明るさの中を舞っていた。

きじはさんと津新町駅の前で待ち合わせて、お気に入りだというパン屋さんへ一緒に行った。私はパッと目に飛び込んできて美味しそう!と思ったいちじくのパンとキッシュを一分もたたずに選んだ。きじはさんはじっくりじっくり店の隅から隅まで、パンを一種類ずつ見つめて選んでいた。お店に通えば通うほど分かってしまうことを、私はなんにも知らないのだな、とパンを選び直そうと思った。でもやっぱりそれは、今そこで選んだものだから、きっと別のパンを選んでも “そう” 思ったのかもしれない。と、そのままいちじくのパンとキッシュを買うことにした。

パン屋から車で二十分ほどのところにある「あのう温泉」に到着する。公民館のようないでたちの少し年季の入った建物に赤い温泉マーク。一階ロビーはやはり公民館のようなほどほどに簡素な空間だったが、奥に銭湯の受付とコインロッカー、その横には天井高がある卓球スペース。来月上旬にここで「MIRACLE TREE」というイベントが開催されるらしい。二階に上がると、イベントと同名のきじはさんの個展が行われている「安濃古道具店」があった。

銭湯、卓球、古道具店、画家

の個展が、同じ時間と建物のなかに居合わせるなんてちょっとした奇跡くらいに珍しく感じる。とはいえ現実、今目の前にちゃんと “そう” なってる。

作品を見てまわりながら、きじはさんは自分にとっての色と音のつながりについて話してくれた。音楽を聴いて浮かぶ色やかたちが絵になっていて、つながっていること。そして「MIRACLE TREE」のアフターパーティの会場である料理店「アルベロ」はイタリア語で「木」を意味することを、イベント名決定後に知ったこと。〈偶然〉〈奇跡〉が起きた。「木」なんてありふれたモチーフが、はからずも重なり繋がる確率、世界全体いったいどれくらいなんだろう。重なりと繋がりに心がはずむ。

ふとお店の窓の外に目をやるとさっきまで澄んでいた空気は曇り、向こうの山が霞み、いよいよ霰(あられ)は雪になるかという空になった。屋根もうっすらところどころが白くなってゆく。

きじはさんの作品を泳ぐつもりで目に焼き付ける。というより、色の海が自ずと私を泳がせてくれるような心持ち。その色は、ひょっとするとふとした弾みでそこに隣り合ったり、重なったり、凹凸を作らない可能性だってあったのかもしれない。それでも、キャンバスに絵の具をつけた時のきじはさんの筆の運びが、あるいは聴いた音楽が、その少し前に聴いた誰かの言葉、目にした風景が、蒔かれて発芽して、大きな幹を成した結果、今目の前に “そう” 存在してくれてる。選んだとしても、選ばなかったとしても。

部屋がふわっと明るくなった。古道具店の外の廊下を出た先にあるベランダへ移動して外を見ると、雪なのか霰(あられ)なのか、相変わらず名前をつけがたい冷たく小さなものたちはわずかに勢いを弱めていた。一時間前と違うのは、それらが太陽に照らされて微かにきらめいて、山の稜線が確かに浮かびあがる上に、光を孕んだ大きな雲たちが現れたこと。雪(霰?)が、太陽と冴えた雲とともに同じところに集まることができる確率、世界全体いったい。

そんなことより、

その時と場をきじはさん、安濃古道具店の森谷さんと私が共有できた確率の方が小さいのか。今日という日にここに来たこと、きじはさんがその数週間前に私が暮らす富士に寄ったことで予期せず出会ったこと、出会った場所に私が昨年東京から引っ越したこと。選んだこともあったし、選ばずともそうなってしまったこと、選んだようでとっくにそうなっていたこともある。全部が何分の一の確率かで起きてるのか、絶対値として百パーセントそこにあるのか・・・

なんてことを考えながら古道具店に戻ると、コーヒー豆を焙煎しているという青年がきじはさん、森谷さんと何か面白いことをしたいと話していた。次から次へとアイデアを蒔いてく森谷さんは、きじはさんの音楽を聴けるQRコードと豆のパッケージを組み合わせて売ったらいいんじゃないかと、まるでもう現物がある現実を経験したかのように解像度高く話していた。それはもう、高速で発芽して枝葉がしなやかに伸びていくように。

「いい名前つけられないかな?」

名前をつける担当になった私の口からは、すんなりと「オトイリ」という言葉が出た。音入り、コーヒーを淹れる。奇をてらうことなく浮かんだことはあまりに自然で肩の力が抜けてて、その一連の流れが奇跡のようだったねと帰ってからきじはさんと話した。

今わたしの言葉、仕草、表情、行動、居場所、時間は、たった今種として撒かれたのかもしれないし、枝として伸び出したのかもしれないし、太陽に向かって葉を広げ始めたのかもしれない。重なって繋がってゆく全てのものごとは、等しく日常で奇跡。すべてを奇跡と呼んで心をはずませていくうちに、奇跡に溢れかえって、一瞬一瞬が新しく愛おしくなる気がする。

安濃古道具店をあとにする時、入り口に飾られた作品「MIRACLE TREE」が、反対側の壁に並んだ太陽と月の絵に顔を向けていることに気づいた。太陽と月のセットは、曼荼羅絵図なんかで「永遠に時間が流れていくこと」を象徴するものとして使われるらしい。きじはさんに伝えたら「ほんとうだ」と笑っていた。

 

作品画像クレジット:きじは「旅の夢」(2023)


Profile

きじは / ミュージシャン・画家
名前の由来はキジの羽。幼少期は父親のフォークソングを聞いて育つ。少年期、漫画家を目指しはじめるが、 中学時代にヒップホップと出会い、ラップにのめり込む。その後ギターをつま弾きはじめ、 一人でのギター弾き語り、バンドスタイル、ルーパーを使ったアンビエントなサウンドも展開する
2021年、これまで描き溜めた油絵などの個展を初開催。音楽と絵画、両方での活動をスタートする。

https://linktr.ee/kijiha

Soundcloud / Instagram @kijiha33 (music) @kijiha88 (painting)

 
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