Christopher Loden : playing pretending

 

Interview by Ayae Takise
Image courtesy of the artist

―現在の作品制作に至った経緯を教えてください。

高校卒業後は服飾専門学校に通い服作りの技術を学んでいました。しかし家政科の延長でアパレル、消費活動につながるものとして服を扱うのではなく、メディアとしての服、思想や概念的なことを探りたいと思うようになりました。

例えばリボンを服に用いるとしたら、形容詞的に「かわいいから」と表層的に終わってしまうのでなく、いろんな文脈を深掘りしたうえでリボンの使い方を更新できるはずです。衣服は人間と切り離せない存在なので、形容詞の話で終わるよりも自分の身体を見つめ直せる関わり方がいいなと思います。どんどん定義が変化していくファッションの可能性を探り、より豊かにしていくには、多角的にいろんなメディアを通して表現する必要があると感じました。

現在は多摩美術大学情報デザイン学科メディア芸術コースで学んでいます。コンセプト重視で、カテゴライズするとしたら「現代美術」のアウトプットが多いです。私自身ファッションを主軸に制作していますが、衣服以外にパフォーマンス、映像、3Dプリントのオブジェ制作など、特定のメディアにとらわれない表現手段をとっています。

PORTABLE SHELTER(2018 / ミクストメディア・パフォーマンス)

―Lodenさんが考える「ファッション・衣服の定義」について伺いたいと思ったのですが、どちらかというと「衣服」の方に主眼があるのでしょうか。

ファッションは衣服から発展して生まれる現象で、服ではないものも含まれます。衣服には主に3つのパターンがあって、一つ目は歩行器や医療器具のような身体的拘束や補綴の機能があるもの。二つ目はハイヒールやコルセットなど身に着けることで拘束が発生し、かつ記号となるもの。三つ目はヴェールなど、物理的な拘束はゼロに等しいけど象徴として存在するものです。

私は「身体を形成する道具」としての衣服に一番興味があります。例えばハイヒールを履くと歩き方が変化しますが、それは新しい身体の所作、動きを獲得できたことも意味します。それが衣服のメディアとしての面白いあり方だと思います。

―作品を最初に拝見したのはウィッグアーティスト河野富広さんが開催するkonomad pop-upで展示されていた「DISOBEDIENT BODY」です。「DISOBEDIENT」には「不従順、反抗的、言うことを聞かない」といった意味がありますが、どういった背景があるのでしょうか。

ストーリーテリング的なことになりますが、この作品を作ったのはVRチャットの仮想空間で実際の人間に似つかない姿をしたアバターとして存在してる人々と出会ったことがきっかけでした。

仮想空間にはアバター同士のコミュニティが成立していて、その空間内で成立する装いもあります。表面を覆う服だけでなく「身体」レベルでカスタム可能で、ネコや目鼻のないマルを「私です」と言っても成立してしまう。『現実世界での自分の容姿が嫌いだから、フォルムを選べる仮装空間の身体のほうが自分にとってリアルだ』と言う方もいたり。身体ありきで衣服を身に着けると言うよりは、「◯◯になる」という感覚が強くて。

自分は物理的な世界で絶対に抗えない、常に付き纏っている身体と共に生きていて、しかも衣服は生身の人間の身体に沿って形成されたものなのに、この常識がなくなった時にどういう気持ちでいればいいか分からなくなって、自分が考えていた「衣服と身体の関係」にバグが起きて衝撃でした。

DISOBEDIENT BODY(2021 / ミクストメディア)VR空間上の存在するアバターや環境を想定し、そのための装身具を3Dプリントを通して表出させている。医療器具や歩行器を参考に成形している作品も。


アバターが非現実的な環境で身につけている「生身じゃない人間のための衣服」は、仮想空間だけで完結することもできるのかもしれません。でもそれを一旦物理的な世界に戻して、形に起こしたのがDISOBEDIENT BODYです。ネコやマルなど「生身じゃない人間」の衣服があるとしたら、現実世界の衣服の形を保たなくていいじゃないかと。同時に物理的な世界に形に起こすことで、彼らにとっての衣服や装身具の役割を考えることもできるんじゃないかと考えました。

―作品ステートメントにも『「身体」によって「衣服」を規定しているのではなく、「衣服」によって「新たな身体」の可能性を提示する。』と記述があり、通常の衣服と身体の関係性を逆行するものとなっています。仮想空間とアバターの考察だけでなく、物理的な世界における発見などはありましたか?

よく「VR空間は没入感がある」と言われますが、没入したり移行したり、結局どんなに研究が進んでも生身の肉体や所在はここにある、ということを忘れたくないと思いました。

とあるオンライン上の知り合いが、アバターの見た目はとてもカッコよくて装備もしっかりしているので「すごくかっこいいですね」と声をかけたんですよ。そしたら「自分の生身はどうしようもない、諦めている。だからバーチャル上の買い物に投資している」と言っていて。そっちの方が承認された気持ちになるし、仮想空間は全てカスタム可能だから良いと。衝撃でした。

―有限の物理世界でなく、無限のVR空間で自分を実現して欲求を満たしていると。

その方の言ってることは理解もしたし共感もしたんですけど、それって問題の解決にはなってないし、生身の身体を諦めて別のところへ投資をするのは身体にとってある種の暴力性も感じてしまいました。

物理的な世界の身体に衣服や装身具を通して向き合って、ファッションや身体変容の可能性を探っていくのが豊かなことなんじゃないかと考えながら、DISOBEDIENT BODY以降も制作を続けています。

DISOBEDIENT BODY(2021)

―現在歌舞伎町DECAMERONとオンラインで「2121SS/AW COLLECTION」を開催中です。

DISOBEDIENT BODYを発展させ、より空間的な見せ方を意識した場になります。DECAMERONの会場とウェブサイト両方で作品を見れるようになっていて、受注会の形式をとっています。

受注会というアパレル産業の行為は現象として面白いと感じていて、ポジティブに捉えています。自分の身体の可能性も未知な未来に向けて投資するって、想像力のある人間だからできることかもしれない。それをもっと飛躍させて、じゃあ100年後の2121年に向けて起こりうる可能性に賭けてみようというコンセプトです。ウェブサイトは現実空間に追従する形ではなく、ウェブにおける衣服のあり方と、現実空間で衣服を見せることの比較をはかっています。

DECAMERONは1階がバーと服屋、2階がギャラリースペースという構成になっています。作品のために空間が存在するホワイトキューブよりも、作品と人と空間が相互関係で呼応してる状態のほうがいいなと思いました。だからバーも服屋もある延長上に受注行為が発生した方が自然だなと決めました。

2121SS/AW COLLECTION ビジュアル

―Lodenさんはいわゆる「デジタルネイティブ」と言われる世代にあたる方かと思いますが、情報が画面越しに溢れてる状態が当たり前だからこそ「いや、身体でしょ」という発想になったのか、逆に元々そういったものは苦手だったのか気になります。

ビデオ会議やSNSが普及して楽しみがデジタルに移行した時、特に2016-17年頃にインスタグラムやTikTokが普及してから一種の不安を覚えるようになりました。画面越しの世界に日常を近づけたり、デジタルの世界ありきで日常の行動を決めたり、記録として写真があるのではなくて、インスタのプロフィールページのレイアウト作業のために写真を選ぶ人が多くなったり。ファッション的な自己表現、自己ブランディングにも繋がってると思う一方、メディアに寄り添いすぎて、本当にしたいことに無意識に制限をかけられている人も増えたと感じます。

言葉による表明をしてしまうと暴力的になってしまうので、「こういうことも可能だよ」と作品が寄り添うかたちで、楽しみながらこの現象を自覚してもらえるといいなと思います。ある種トラウマを植え付けて考えさせることが重要なのかなと。

言語や図を通して思考を整理する言語図式マップ

―先ほどお話ししてくださった「生身の身体を諦めている」方のお話や、今のSNSとの付き合い方の話から「pretend」(演じる、見せかける、偽る)という言葉を思い浮かべました。もとい衣服やファッションもそういった性質を持つものだとは思いますが、これも制作のテーマとして意識されていますか。

個人的な話になるんですけど、私、ぱっと見の印象が薄いみたいで(笑)長年付き合ってる友人でも「よくわからない」「捉えどころがない」とよく言われます。自分もどこかで意識的にそうしてる節はあるかもしれません。というのも、自分がそう意図していないのに「◯◯っぽいね」と言われることがすごく不思議で、そう言われると意地悪したくなって、次その人に会った時に全く違うテイストの格好をしたりします。「どういうこと?」って思わせた方が相手にとってトラウマとして残る。自分自身のファッションを選ぶときも「これが着たくて着る」じゃなくて、こう見えたらこの人の枠組みから外れた自分を更新できるんじゃないか、違う側面を見てほしいとプレイ的に服を選んでしまいます。

―「捉えどころがない」というのは、つまりLodenさんが他の概念からまっさらなところにいるだけのことなのに「Lodenだ」では済まされず、自分が経験してきたことと答え合わせをしたくなってしまうのかもしれない。

作品も、自分自身の見せ方もそうですが「◯◯っぽい」という過去の経験に定義されたイメージで納得して終わるよりは「属性がわからないけど何かある」と見切りをつけたはずのことを考えさせるきっかけになる方が相手にとっても良いことだと思います。

MUSE(2022)

―身体と衣服の関係についてこれまで伺ってきました。では、衣服と物理空間の関係についてはどのように考えていますか?

私の買い物の仕方の話になるのですが、アタマとハートとハラでする買い物の3種類あると思ってて。アタマで買うものはTPOが念頭にあるもの。ハートで買うものはすごくほしいわけじゃないけど「これを今買うとお得ですよ」と言われて心理的な作用が働いて、今後の利点を考えつつ衝動で買うけどあとで「そんなにいらなかった」と後悔することもある。ハラで買うものは、純粋な感動で言語化や理由が関係なくなるもの。

ハラでばかり買いものすると何が起きるかというと、公共の場にそぐわない服ばかりになるんです(笑)階段登るときに引きずってしまう、フリンジが絡まる、服の幅がありすぎてドアの幅に合わない…乗り物や空間って人のために設計されているけれど、衣服によっては邪魔になってしまうというのを実感しています。空間によって人がどのような服を求められているか、あるいは人が求める服も制御されると感じています。だから純粋にハラで買うより、空間ありきで買うことが多いですね。

―空間が「人が選ぶ服」を選ばせている、というのは面白いですね。百パーセントハラで買うことは難しくて、アタマもほどほどに動かないといけないと。

ただ自分は、服がすごく好きなのでそんなこと言ってられないと、意地でもハラで買う服を楽しんでプレイしている感覚です。プレイというのは「遊び」の意味も「演じる」の意味もあります。

「似合う」と思う服もまず買わないようにしてます。この言葉もよくわからなくて…社会的なイメージに自分が当て込まれているというのがわからない。「この服はどうなってるんだ、どう着るんだ」と分からないものを買った方が自分の身体と向き合えるし、どんな服でも「似合わせる」ことを考えたいです。

 

Christopher Loden(クリストファー・ローデン) / アーティスト

東京/オンラインを拠点に活動中。「ファッション」という装いと身体に与える影響を、社会の枠組みそのものと関わるメディアや置かれている環境から考察する。そこから生じる物理的/社会的身体に対する認識を、様々なメディア/台座を用い、それらの認識の境界を新たな視点から捉え直し、拓かれた身体変容の可能性について思考する。

Website ※2022年4月22日(金)まで期間限定で「2121 SS/AW COLLECTION Christopher Loden」オンライン受注会実施中

instagram

「2121 SS/AW COLLECTION Christopher Loden」概要

会期:2022年4月15日- 4月22日
時間:14時~26時
会場:デカメロン(〒160-0021 東京都新宿区歌舞伎町1丁目12-4 2F)
TEL:03-6265-9013
助成:公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京【スタートアップ助成】

※時間及び休廊日は、新型コロナウイルス感染拡大防止のための東京都における緊急事態措置、また飲食店に対する営業時間短縮要請に準じて変動する可能性があります。詳しい情報はHP(https://decameron.jp/)をご覧いただくか、ご来店の前にお電話にてご確認ください。

 
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