志自岐希生:あいだの世界の綱渡り

 

Interview by Ayae Takise
Image courtesy of the artist


志自岐希生は、お互い血が流れている存在であるという至極当然なことを、強く、温度とともに感じさせてくれる人だ。
アメリカで長らく生活した経験のある彼女と話していると、時折英語をそのまま日本語に変換して話されているように感じる瞬間がある。その点、私とどこか言葉に対する感覚が似ていると常々思っていた。
昨年全国の映画館でも上映された短編オムニバス映画「DIVOC-12」の一作品として公開された「流民」、国内外で評価されている「逆流」など、登場人物の心理を繊細かつ大胆に、描くというよりは炙り出す志自岐の作品、そして一個人から発せられる言葉のひとつひとつからは、人間の奥底に向き合っていこうとする生々しい覚悟が伺える。奥底の相反する両極を知り、形にあらわそうとする貪欲さも。

彼女とであれば、言葉と身体にまつわる話を通してより拡がりのある対話ができるかもしれない。そんな好奇心から実現したこのインタビューを通して、志自岐の表現者としての自負に迫る。

―「流民」観ました。いろんな作品が並ぶオムニバスの中で一番政治的な作品だと思いました。

「DIVOC-12」は2020年11月頃にいただいた企画だったのですが、どうしても私の中でignoranceや現実に対してのdenialがフィーチャーされることだけは避けたかったんです。私自身、この年はパンデミックが一番大きな出来事ではありましたが、でもそれ以上に、そんな状況下でも変わらず闘い続けた人間がいたことを忘れたくなかったので。BLACK LIVES MATTER、ネパールなど、様々な戦いが今でも行われていますが、なかでも自分にとって大きかったのは香港のプロテストです。ニューヨーク留学時代に仲が良かった香港人の子が今ブリティッシュパスポートでイギリスに住んでいるんですが、彼女は帰る故郷を失くした人間になったわけなんですね。ニューヨークではみんなBLMのプロテストに行っていて、香港でも同じようなことが起きていて、日本国内でも色んなデモが行われたけれど、そういう状況で日本にいる自分のスタンスをすごく考えさせられました。

一言で「政治」というよりも、個人の日常にあるマイクロレベルの違和感が、その下に隠れているすごくドス黒い、ひっくり返しようがないくらい大きく根本的な問題に繋がっていたりするので、そういう何かの下に隠れたものの存在についてはよく考えます。

―SNSに投稿される鑑賞者の感想をリサーチしたところ、「自分探し」という言葉が多い印象がありました。現在の世の中全体に「自分の居場所→自分らしさ探し」という定型文というか、標語が溢れてる状況も関係しているような気がします。私が見た限りでは、社会情勢や政治の話とつなげた解釈よりも、もう少し狭い範囲での「自分探し」につなげた感想が多かったように感じました。

捉え方に不正解・正解はないと思っています。一回私の手を離れてしまえば他者の解釈はコントロールできないので。解釈や考察っていうのは正直私にとってはどうでもいいもので、それより骨髄にくるものを作りたい。私が過去に感銘を受けた作品もそうですが、どんなに政治的な作品でも最終的には脳ではなく、骨髄、血管に本能的に訴えかけてくる。「この感覚を解るのはこの世に私しかいない」って気持ちになる。そういう意味で、居場所探しの話として「これは私にしかわからない」って思ってくれた人がいたのなら、それも私にとってはとても有難いことです。

―メイキング映像を見て思ったのは、役者さんの声音を微細に調整してく身体能力が素晴らしいことはもちろん、たとえば「首を切るように」など、ディレクションする希生さんの言葉選びも凄まじいということ。

ありがとうございます。10代の頃にテント芝居の役者をやっていて、その流れでアメリカ留学して演劇と舞台美術の勉強をしたあと映像の世界に入ったので、自分にも演技経験があるんですね。

大学の演劇の授業で、「初めて雪を見て涙するシーンを演じる」という課題があったんですが、ニューヨークなんて雪だらけなんです。その時もちょうど冬でしたし、毎日嫌と言うほど見ていて。私含め、大体の子は無理やり想像している感じが分かるなか、あるクラスメイトがぽろぽろと涙を流しながら子どものようにはしゃいで、それを見ていたらこちらも泣けてきたんですよ。先生が「本当に雪が降ってるところを想像したの?」と聞いたら「お腹すいててしょうがなかったから、ピザのことをひたすら考えた」って。でもそういうことだよなって思ったんです。経験は嘘をつかないけど、想像力で埋められない時にそうやって自分にとって身近な感覚が手助けになる。演出をつける時はそうやって助け舟を出せる監督になりたいですし、役者によってアクセスしやすいものを探り当てることを意識するようにしています。

たとえば「あの馬、次負けたらぶち殺してやる」って台詞も最初はもっと凄みがあったのを、「今日冷蔵庫にキムチあったからキムチ鍋にしようかなくらいのテンションで言ってほしい」と伝えたら、そっちの方が逆に怖かった。

―(笑)

だからそういうボキャブラリーをもっと増やしたいなと、日常を送る上でも常々考えています。頭で考えすぎるよりも身体が欲しているものを探り出したい。

「流民」撮影風景

―心情が身体的な感覚として現れてくる、そういう生々しい瞬間を希生さんはたくさん知ってると普段会話してても思います。そしてものごとを映画的というより、舞台的に捉えているような感覚も伝わってきます。物と人が空間としてどう関係してるかって空間的な発想を感じる映像表現も多いなと。「流民」の〈世界〉のシーンも、舞台演出を映像として見ているようでした。

やはりそこはテント芝居の影響が大きいのかもしれません。「スペクタクル」という言葉はチープかもしれないけど、この世のものではない大胆不敵さがすごく好きなので。テント芝居をやっていた時、海辺の砂浜にテントを立てて、最後は後方を開いて海に向かって役者が去っていくという締め方をしていたんです。

映画はロケーションは本物でも、カットやスケジュールがあるので、時間はリニアではないじゃないですか。舞台の上は全てが作り物だけど、流れている時間は本物です。その中でテント芝居は海というリアルなロケーションで、現実と作り上げた世界が交わるので、それは原風景としてあります。でも私はやっぱり物語が好きなので、キャラクターの心理も真摯に描いて世界観としっかりマッチさせたいとは常に思っています。


―希生さんはずっと映画のみ作る人で居続ける感じがしない。それこそ舞台作品も作りそうだし、小説も書きそう。

舞台作品はとても興味があります。ずっと(テクストを)書いているような子どもだったので、実は映像表現のほうが新しいジャンルというか。今も基本的にはずっと脚本を書いています。手元に10本以上は、形にならなくても習作としてある。アスリートの筋力記憶みたいなもので、それが詩だろうが脚本だろうが小説だろうが、文はなるべく毎日少しでも書き続けるようにはしています。

瀧瀬さんも舞台がお好きで、以前ニッチな話で二人で盛り上がりましたよね。そういえばこの前なんかいきなり見たくなって、「キャバレー」のアラン・カミングをひたすらずっと見ていました。映画版の(同役を演じる)ジョエル・グレイも最高ですよね。(映画の監督・振付をした)ボブ・フォッシーの世界観にも無意識に影響を受けているのかなと考えました。

―ボブ・フォッシーはミュージカル映画における映像表現に振付や舞台演出的な発想を持ってきた人ですね。虚構と現実の交錯をあえて色濃く感じさせる演出が特徴的です。テント芝居の経験がある希生さんが惹かれるのもなんとなく分かる気がします。

希生さんがコロンビア大学時代に製作した短編映像「The Well」で特に感じたのですが、「読むテクストとしての英語」が発話されてる印象を受ける作品がいくつかあります。

―私は頭の中に言葉が湧き出してしょうがない時に、それをなかったことにしたくない気持ちが主な書くモチベーションになってるのですが、その「言葉」は発話と記述の中間にあるものというか。でもそこを敢えて記述として残すために、発話の要素もありつつなんとか収めて残してるという感じです。

とても分かります。「The Well」の独白は映像を意識して書いたところもありつつ、もともと私が英語で書いた日記のような、詩とも言い切れない、でも吐き出している、みたいなものです。

―英語で文章を書くと感情が収まるから、怒ってる時なんかは英語ですね。感情として吐き出しながら、ポジティブに一旦落とし前をつける感覚です。

私もそうです。私の場合は、英語にしちゃうとどこかコメディになる気がします。あくまでも第二言語ですし、私も完璧に喋れる訳では全然ない。だから距離がある一方で、自分の中で本能的に最初に出てくる言語でもあって。英語で寝言言いながら起きたり。

あとは単純に、英語では分かるのに日本語ではなかなか説明できないことがあったり、逆もあったりするじゃないですか。例えば「makes me feel uncomfortable」というフレーズ。あれって英語では便利で都合が良くて、ちょっと踏み込まれすぎて話したくないことがある時はこの一言である程度リテラシーがある人は下がってくれる。でも日本語でこれはなんて言うんだろう?「不快感を覚えます」?ってグーグル翻訳みたいで。「バイブスが合わない」?

結局「察して」ということになっても、英語だと相手に失礼になることもなく自分のバウンダリー(境界)をきちんと守ることができる。「バウンダリー」も日本語にするには難しいなと思います、「パーソナルスペース」もなんか違う…かと言って「境界線」も冷たく聞こえてしまいますし。

―日本語という言語、その周辺にある文化自体に、風景や自然と自己の感情、存在そのものが一体化してしまう性質が備わってますよね。客観的な外側の状況と内側の主観の境界が曖昧で、しかもあわいの範囲が広い。

そうかもしれません。思春期の頃に、「溶け込む」「一体化する」というのを肯定的に捉えられなくて、社会の「こうあるべき」というものに当てはめられた時に、そこに飲み込まれて自分のバウンダリーがなくなるのが恐怖だった記憶があります。

例えば学校という場では、教室と「私」の境界がどこなのか分からなくなる感覚がありました。友達と話していても、これは私の意見なのか、それとも「この場でこれを言うべきだから」言っているのか、分からなくなった時期があって。

だから英語が楽なのは、きちんと〈自分〉と〈自分じゃないもの〉の立場が分かれているからなのかなとも時々思います。良い悪いではなく、そのアウトプットの選択肢を持っているのは楽です。

―確かに、人格変わりますよね。日本語の情緒ダダ漏れモードになりたい時もあれば、英語の明快モードでストンストンと行きたい時もある。でもどちらかに100%偏ることはなく、常に両方の解像度があると言ったらいいんでしょうか。

私は日本語と英語はピクセルの単位が違う、というイメージがあるんですね。正方形として隣り合うピクセルと辺が接しあってるのが日本語、隙間への解像度が高い。英語は正円で部分的にカバーしてるから、隙間で漏れるところがある…いや、逆かも?いろんな人に話してるんだけど毎回どっちかなと…

簡単に答えが出る話ではないかもしれませんが、私もお互いの足りないところを行ったり来たりしながら補完している感じはあります。文章を書く時もそうです。日本語じゃ全然進まない脚本も、英語だとすらっと書ける時もあるし、その逆の場合もある。

日本語は母国語なので近すぎるため、可能性がありすぎて逆四面楚歌というか、どこにでも行けるからどこに行っていいか分からない。対して英語は、可能性がある程度限られてきます。そうすると物語の道筋も狭まってくるんです。自分のポジションが明快でチェスが進めやすいイメージです。それに助けられたことは何度もあります。

逆に英語で書いていて選択肢がないと行き詰まった時、日本語で書き始めたら「斜めにも上にも行けるじゃん?」ってなったり。言葉はアイデンティティと近いものがあるから、便利な一方で迷う時もあって、表裏一体ですよね。

―日本語の台詞がある作品はたしか「流民」と「逆流」だけですよね。

「ぎゃくる」は仏教用語なんです。最初に流れているのは般若心経で、いろんな音楽を試したなかで、特に意味はないけど一番しっくり来ました。多分、自分にとって「この世のものじゃないけど一番自分に近いもの」の象徴な気がします。この世から離れることの原点みたいなもの。仏教系の幼稚園に通って念仏を唱えた経験や、物心ついて最初の記憶が祖母の葬式だったことも関係しているかもしれません。言葉は慎重に選ばなければいけないと思うんですが、死を身近に感じるのは安心することでもあると思うんです。結局わたしたちも物質だなと。

「逆流」はコロンビア大1年次の夏季課題として一時帰国中に制作。12分程度の短編課題として制作。コロンビア大やNYUの友人を日本に招聘し地元福岡で撮影を行なった。


―この作品を作ったきっかけは?

メイクアップアーティストの母の存在ですかね。右手を怪我しそうになるたびパニックになっているのを幼心に「この人、右手動かなかったらどうなるんだろう?」と思って見ていました。そういうサディスティックな好奇心から作ったのはあります。そしてそれを描くなら、母本人が演じるしかないなと。本人が一番恐れていることをやらせることで出てくる表情を撮りたい、記録しておきたいというのがありました。

あと、わたしが昔から不在着信がすごく怖いんですね。今でこそ非通知って少なくなりましたが、充実して幸せな一日が、非通知一件くるだけで世界が全てひっくり返るような気分になる。メッセージが残らないから何が言いたかったか分からないし、掛け直しようがないanxietyがある。この2つがおおもとのきっかけで、そこに他の色んなインスピレーションが重なってまとめていきました。
 

―タバコとコンドームが一緒に落ちてくるシーンに妙に引っかかりました。コンドームって生命ができる可能性を止める道具だし、仕事道具である大事な手が動かなくなることは死を意味するから、どこかリンクするのかなと思いました。

撮影当時はまだ「女としての幸せ」のようなフレーズが使われていた頃なので、老いと性のことはすごく考えたと思います。母は男社会真っ只中の頃をヘアメイクアーティストとして経験してきた人なので、「女を武器にしている」と言われることも普通にあった時代に「私は自分の腕で仕事を取ってきている」って反骨精神が強かったようです。女性をすごく綺麗に見せる仕事をしているのに、かたや自分は女性性というものに対し葛藤もある。

「逆流」より

また、化粧で言うと、最後に出てくる父方の祖母の撮影中に、口紅を引いた瞬間鏡を見る目つきも変わって、別の魂が入ったように変貌したんです。穏やかでいかにも『かわいらしいおばあちゃん』という人なのですが、口紅を持った瞬間、まず自分でやるって言い始めて、納得しなかったのかうちの母に「ここを直してほしい」とお願いして、最後やっぱり自分で引き直して。撮影時点ですでに体もあまり上手く動かせなかったし、出演をお願いした時もあんまり理解しないまま微笑んで、「いいよ〜」という感じだったので、細かいことを言っても分からないかなと、どんな表情を作ってほしいかだけ話したら「それだけじゃ分からない、相手は私にとってどういう存在なの?」ってすごい目で聞いてきて。私の母も開いた口が塞がらなかった。口紅塗っただけでこんなに変わるの?って。すごく驚きましたし、同時に反省もしました。

母がベッドの上の動けない祖母に化粧をほどこしながら、自分の母に死に化粧をほどこした時のことを思い出して、苦しそうで。私もそれを見ながら、まるでまだ生きている人間を殺しているみたいだなと思ったんですが、彼女の場合逆に生き返ってしまいましたね。眠っていた何かが目覚めたのか、何か違うものになったのか。いまだにその時のことは考えます。

「逆流」より

―化粧って自分の身体と世界の境界にあるもので、世界とポジティブに関わろうとする生命力を引き出す手段ですよね。実際に心のケアの方法としても活用されていますし。演出にも乗り気になったお祖母様は、表現を生業にしたことはある方?

昔から詩は書いていたようです。ずっと教師をしていた人だったので、教科書に載るような模範的な詩を書くのかと思ったら、中学時代ある日いきなり金子光晴を私に勧めて来て。読んで衝撃を受けたと同時に、祖母があの柔らかい笑顔の下に何を秘めているのか、わからなくなりました。二面性とかそんな表と裏の話でもないんでしょうが、そういう一概に括れない人は好きです。

―「逆流」の般若心経のように、編集段階で決まった音の演出ってありますか?

最初に母がすっぴんでタバコを吸っているシーン。あれは無音でやる予定だったんですが、編集で遊んでいる時にラジオ体操を入れたら面白かったんです。朝、外で同い年くらいの人がラジオ体操をしている中、仕事に行く前に一人でタバコを吸ってそれを冷めた目で見ているのがすごく彼女のキャラクターを表していると思ったんですね。冷めているけど、ラジオ体操をする日常も自分の幸せだったのかもしれないとどこか羨む気持ちがあるのかもしれないと。

「逆流」より

―私にとって印象的だったのは、ただ演出プランが変更になったのに伴って化粧の方向性も変更になっただけなのに、手が不自由なことを理由にされたと過度にパーソナルに受け取り感情的になってた場面。不安ゆえこれまで積み重ねてきたことを、実際その会話には関係ないのに盾として使いたくなってしまう、あの心情の経験は自分にあるし、きっと色んな人が感情移入するところなのではと思いました。

私にもああいう気持ちになる時はあるなと。積み重ねてきた経験や美学を自分のdoctrineとしてしまう。それが心地よいからそうしてしまうけれど、時々それでいいのか分からなくなる時もありますし、「自分はこういう人間だ」というものが、些細なことで緩んだり崩れたりすることもあります。今までしてきた人生の選択を疑ったり、もう戻れない時間のことを諦めきれない自分に気付いたりする。老いと悟りはイコールで捉えられがちですが、もしかしたら老いていくほどそういう諦めきれない場面が多くなってくるのかもしれません。

ロバート・ジョンソンのCrossroadという曲があるんですが、それをエリック・クラプトンがカバーした時に、十字路で悪魔と出会い、魂を差し出す代わり才能を手に入れたという解釈が出て来たという有名な話があります。私は何かを手に入れたとは全く思っていませんが、十字路で悪魔と出会ってしまった感覚はわかります。ただあの曲はその後の人間の話をしていないので、その耳聞こえの良い『武勇伝』的な話を一回崩してみたかったというのもあります。


―当時何かに惑わされてしまったかもしれないし、今も何かを信じたつもりになって惑わされてるかもしれないし。

そういうことは日々考えますね。決して後悔はしてないけれど。


―戻れる場所があるのを確かめながら進んでくことは悪くないけれど、不要なところまで過去の経験をロジックとして重ねてしまうのは違いますよね。物理的な場所というより、精神的なこと。精神的に「帰ることができる場所」があれば、逆にどこでも自分の居場所とできてしまう。

そうも思いますし、同時に、どこも自分の居場所にならない。矛盾した二つの考えのようですが、この二つは共存できると思います。

たびたび過去の話で恐縮ですが、昔ポーランドの田舎を歩いていて、あぁここでも生活はできるなと思ったことがあって。言語も全然通じないんですが、そこで死ぬ自分が想像できたというか。それですごく救われた気分になったんですが、その直後大雨が降って来て、傘も無いしここまで来たバス停も雨でどこにあるかわからないしで、悟りから一瞬でパニックに陥りました。3秒前まで勝手に自分の居場所にできると思っていた場所が一気に崩れ落ちたというか。その二極性は面白かったです。ちなみにその時雨宿りで入った店でローリング・ストーンズのWild Horsesが流れていて、大好きな曲なんですが、あの時は皮肉でしたね。

―それが「流民」の居場所の話につながってくるのかもしれないですね。最後に馬が出てくるのはそういうこと?

馬って、犬とはまた違う関係性で人間にとっては密接な存在じゃないですか。「馬車馬のように働く」って言葉もあれば、競馬で金を賭けられたり、ツールにさせられたりしてしまった動物ですよね。でもそんなこと、馬は知ったこっちゃない。

私たちもある意味馬みたいな存在なのかなと。誰しも心の中に馬はいると思うし、自分自身の馬になってしまうこともあると思うし。そういう意味では確かにWild Horsesはこの映画を作る時にずっと自分の頭の中にありましたし、あと曲でいうと、ジミ・ヘンドリックス版のAll Along the Watchtowerもなんとなくずっと頭に流れていました。

「流民」より

―話を聞いてると、希生さんの作品には人間のエゴを描いてるようでどこか突き放してるところもある。全体の基盤にあるのは自我にしがみつかない安心感のようなものだと思います。自分の身に起きることをコントロールしようとすると人間の都合を極めることになりますが、あくまで身体は借り物として俯瞰できると、大きな視点に立っていられるし、他とのつながりの中で受け身でいる意識を持てる。
最後の馬の眼差しがとにかく印象的なんです。神様みたいに「人間は今日もそうやって生きてるんだな」って俯瞰している感じがして。

「突き放している」って感じてもらえたのは嬉しいです。自分が自分を突き放したい欲があるからそれが出ているのかもしれません。その欲をエゴって考えることもできるかもしれませんが。でも私は個人的には制作者のエゴが出ている作品は好きじゃありません。見る側が欲しいもの、それ以上を見させてくれる「あざとさ」は好きですが、これさえ押さえておけば観客は喜ぶ、大丈夫って計算は嫌いですし、作品に対しても観客に対しても失礼だと思います。

―あざとさは他者に向かうものですよね。

最近だと「あざといテクニック」とかよく言われますが、それをやっている当人たちも結構怖がりながらそれをやっていると思うんです。これやったらあざといと思われないかなって。一歩やってみるけど怖いみたいな。でもその震える部分含めて人間だなと思うし、愛すべきものだと私は思うから、あざとくやることはきちんと向き合うってことだなって思います。それは表現でも一緒です。

―私は希生さんの「この人すごく揺れてるな」という部分を引き出す力がすごいと思います。短編でも日常に潜む最小単位の揺らぎを捉えて、それこそ骨髄に訴えかける。

私自身が常にスペクトラムの間にいるからかもしれません。自分で自分のことを理解したい気持ちがあるから、あいだの世界の綱渡りというか、どっちにも転げてしまう可能性がある場所を表現したい。

あと、様々な方が言っていることですが、両極端のものって一致すると思うんです。私はAとZの間を埋めたいだけで、一直線上の両端にあるものを曲げたい。(身振りで表現)

―こういうこと?

そう、直線を曲げてAとZが一緒になった瞬間を描きたいんです。その曲がっていく過程自体が私にとってのグラデーションで、その爆発が起きたところを私は見たいと思っています。

でも、さっきの思春期のバウンダリーの話じゃないですが、本来自分は異なるものが交わるのが怖いんです。だからこそ、きっとそこをマゾヒスティックな気持ちで交わらせたいんでしょうね。文章を書いていても「私はここを掘っちゃったら帰って来られないんじゃないか」みたいな時はありますが、掘らずになかったことにした方が確実な死を迎えてしまう。怖いけれど、向き合わなかったら緩やかに死が続いてくだけなので、向き合った先に何か希望があると思うしかありませんし、実際にそれがあった経験もたくさんあるので。それだけは信じてやっています。

 

志自岐 希生 / 映像ディレクター、脚本家

コロンビア大学院映画演出科卒業。Marymount Manhattan Collegeにて、演劇、脚本、舞台演出を専攻し、脚本科首席卒業。
2015年、文芸誌『The Review』にて最優秀短編文学賞を受賞。監督・脚本を担当した短編映画『EUREKA』にて、Around Films国際映画祭で審査員賞、Top Short映画祭インディペンデントドラマ部門最優秀賞。ポートランド映画祭、World's Independent映画祭にて公式出品作品選出。
2018年、短編映画『Secret Lives of Asians at Night』をプロデュース。全米監督協会審査賞、ボストンアジアンアメリカン映画祭最優秀短編賞、トロントアジア国際映画祭エア・カナダ短編賞を受賞。 2019年に帰国後はナイキジャパンの『Just Do It』やステラ・アルトワ・コリアの『Become an Icon』を含む、日韓の広告キャンペーンに参加。
2020年、監督・脚本を担当した『逆流』がショートショート映画祭ジャパン部門入賞。タリン・ブラックナイト映画祭(PÖFF Shorts)、CINEQUEST国際映画祭にて公式上映。また第42回クレルモン・フェラン短編国際映画祭Short Film MarketにてMarket Picksに選出される。
2021年、SONY PICTURES企画の短編映画オムニバス『DIVOC-12』に『流民』の脚本・監督として参加。現在U-NEXTで配信中。

Website / Vimeo

U-NEXT『DIVOC-12』

 
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